土壁と外壁リフォーム 2
定家邸の全工事が竣工するのは寛喜2年で、嘉禄2年時点における入居は彼自身の記述によれば「日次宜」しき故のいわば仮住いでしたが・・・
たとえそうであったにせよ壁工事未完のまま「新屋に宿り始」めることができたのは、当時の寝殿造における右のような壁の量的な少なさに助けられていたことを認めておかなければなりません。
・・・ただ寝殿造の殿舎には「塗籠」と呼ばれるものがあります。
ここは時に「夜御殿」とも呼ばれるから一般には寝所と考えられ、また貴重品の収納揚所に当てられることもあったのでしょう。
各種古絵図等によれば・・・
「塗籠」は広い開放的な建築物の中にあって固定間仕切で囲まれたほとんど唯一の閉鎖空間といってよく、出入口は両開きの板扉一ヵ所しか設けられないのが常です。
その詳細な構造がどのようなものであったかは明らかでありませんが・・・・
ここに「塗籠」という名称が与えられている以上、その固定間仕切は、一応、土壁で塗りまわされていたと理解するのが自然でしょう。
この時代にはもちろん外壁リフォーム技術はまだ存在していません。